『存在の耐えられない軽さ』はチェコスロバキアの作家クンデラの著作である。
本の内容について説明されている記事は他のウェブサイトにいくらでもあるし、何ならこの本を直接読んでもらった方がいいだろう。
しかし、この本はいくつかのテーマが恋愛小説という形式の中に閉じ込められており、その中から何を重要だと思うかは読者次第である。
そうなると、私がこの本を読んで重要だと感じたこと、それを抜き出して書いてみることにはきっと意味がある。
私が読み始めて最初に衝撃を受けたのはその章構成である。
第一部 軽さと重さ
第二部 心と身体
第三部 理解されなかったことば
第四部 心と身体
第五部 軽さと重さ
第六部 大行進
第七部 カレーニンの微笑
見てみると、第一部と第二部のタイトルが第四部と第五部に改めて登場する。
結局、登場人物のトマーシュに軽さと重さ、テレザに心と身体という章が振り分けられているだけなのだが、この整った体裁を見た瞬間に、作者の美意識が感じ取れた。
本の全体的な構成としては、トマーシュとテレザの恋愛に対する心情を描いたメインのストーリーに、トマーシュの浮気相手であるサビナのストーリーを加えた形になっている。
Einmal ist Keinmalという言葉を呟きながら様々な女性と浮気を続けるトマーシュと、初心なテレザの恋愛。両名に割り当てられた章ごとに各々の心情を描くというのは、とても新鮮な試みに思えた。
(Einmal ist Keinmalが何を表しているのかはぜひ自分で読んで確かめてほしい)
『高い城の男』のあとがきでディックが語っていた、普通の何ともない登場人物が勇気を奮い起した行動に小説の良さがある、その言葉に私は深く共感する。しかし、その行動のために小説一冊を使うのは、いささかか冗長になりがちだとも思う。
存在の耐えられない軽さの中では、トマーシュとテレザがそれぞれ葛藤しながらも自問しながら自分の気持ちを確認し、勇気を出して行動するシーンがある。それだけで小説は成り立つのだ。しかし、それで終わらないのがこの本の名作たる所以がある。
トマーシュの浮気相手、サビナの章で展開されるのは、全体主義に対する抵抗である。第六部の章タイトルになっている大行進とは、現行政治に反対する市民のパレードのことだ。サビナは大行進をキッチュなものとして定義する。
キッチュという言葉自体、あまり普段の生活では耳にしないものだが、調べてみるとケバケバしさを取り入れたファッションの記事が出てくる。本書で語られるキッチュとは俗悪さとしていくらか例が挙げられている。
私なりに解釈するならば、生成りの服を派手な色の服と一緒に洗濯したときに色移りするような、わかりやすいイデオロギーに影響されやすい人間の本質というか、勧善懲悪というわかりやすいテーマに落とし込まれやすい物語というか、そういう俗っぽさに影響されることだと思う。
ウクライナの不正選挙に市民が反対し再選挙が行われたオレンジ革命を、裏でロシアとアメリカがどちらの立てた候補者を当選させるかの戦いだったという意見もあるが(調べてみると一連の政権交代の行動を色革命というらしい)、そこには個人の意見なんてものはほとんど存在せず、全体主義的なイデオロギーと大行進だけがある。
キッチュなもの、大行進、全体主義、、、人間はそういうものに染まりやすいものだという。ただし、キッチュなものに染まるということは、存在の耐えられない軽さを引き起こす。
伊藤計劃の著作『ハーモニー』を読んだ方ならわかるだろうが、最後に訪れるユートピアに人間個々の重さなんてものはない。キッチュに染まり切った人間の軽さは、空気と何ら変わりがない。
そういう軽さへの抵抗が、流行・サブカルに表れるのだと思う。今ではサブカルもキッチュなものに堕ちてきているよにうに感じるが…
流行それ自体はキッチュさの表れのようにも見えるが、私は逆だと思う。むしろキッチュさというのは、ユニクロを着る人間はファッショナブルじゃないとか、流行に乗る人間は何もわかっていないとか、そういう俗な思考に何も考えずに乗っかっている人間の方だと思う(何も考えずに乗っかっている場合だけがキッチュで、自分なりの意見としてそれに共感するのはキッチュではない)。
キッチュさに抵抗する手がかりとして私が大切にしたいと思うのは、自分なりの感性と自分なりの思考である。
感性の面に関しては、一般的に美しいと言われるものを自分で見てどう感じるかを常に自分に問いかけること、また一般に醜いと思われているものを見た場合も同様に、初めて見るものに対しては先入観を持たないこと。
自分の中で評価したものに対してこだわること、それを人に強要しない限り自由であるし、ある意味神の視点を持って生きることでもある。
(芸術など、見る人によって価値の変わるものに、誰も評価や値付けをしていなければ、それは自分の感性によって評価されても何ら不当ではないし、その世界においては自分が絶対である、という意味での神の視点)
さて、そんなキッチュさへの抵抗を徹底したサビナの人生は幸福なものだったのかというと、本書を読む限りそうは描かれていない。しかし、私はたとえ不幸だったとしても、自分の考えにある程度こだわり、その結果後悔したとしても、幸福だと思う。
なぜなら、それが生きるということだし、自分が自分でいるという証明であるからだ。
寺山修二的な、幸福を追い求める気持ちを持ち、それを自分の意思で推し進めていくこと自体が幸福の在り方だと私は考えている。
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