ブログを書く

ブログを書こうと思った理由は特にいうほどのことでもないのだが、ほかの人が書いているブログを楽しく読んでいる人がいるってことがうらやましかったからだ。一時期はとあるSNSで日常的にブログを書いていたこともあったけど、そのSNSアーケードゲームSNSで、もうそのゲームをやっていないのでしばらく書いていなかった。とやかく書き出してみることで自分の思考を整理することができると、教授も言っていたような気がする。最近語彙力が落ちてきている実感、会話の途中に急に自分の言葉に合う単語が思いつかなくて少し悩むような、があるのでそれも少しくらい改善してくれ。僕が書くブログに大した価値なんてないけれど、多少でも読んでもらえればうれしい

 

自分より優れている人を見るたびとてもみじめに感じる。去年頃はそれで人はなぜ生きるのかと自分に問いかけてよく鬱になっていた。今はそんなことを考えない。答えの出ない問いだとわかったからだ。自分に取り柄、魅力がないという現状で悩んでも仕方がない、自分の欠点がわかっているのならできる範囲で努力するほかないのだ。僕の場合会話がうまくできない(これは僕がこれまで自分から他人に話しかけて、話を広げていくという経験をまったく積まなかったことに原因がある)のは、たとえば自転車で走りながら、どういう話を振ってどう広げていけば相手は楽しく僕の話を聞いてくれるだろうかと考えたり、授業中に近くの人の特徴を観察して、この人はどのような趣味があるのか、それをどう聞けば当たり障りなく話せるかなどと考えたりすることで少しでも改善するほかない。話のうまい人と話すたび、少しでもその技術を吸収できればと思うのだけれど、いざ話すとなると何を話していいのかわからなくなって閉口してしまう。

 

また、自分の見て呉れについても気になるのだけれど、僕には一般的なセンスがないのか、どうにも自分にピタッと合うような装いをすることができない。これは、中途半端に安い服を選んでいるから見た目が悪いのだと、薄々感じているので近いうちにちゃんとした服屋に行きたいと思う。ただ、僕は藤井大丸の商品は高いと思う。この感覚が異常なのかはよくわからない

 

僕が大学で見かける限り、みんなきちんとした見て呉れで、なんでこんなにキッチリとしているのだと思う。自分の場合だけだとは思わないけれど、親から特に服のセンス、分類について聞いたことは一度もないし、ファッション誌の着合せが宣伝目的のものばかりということはわかる。インターネットで服を調べてみてもよくわからない。せめて自分に似合うジャンルさえみつけることができれば……

彼女と服飾店に来ている男性がとてもうらやましい。服を見に行く友人でいいからほしい。

 

彼女をつくる、という話だが、僕は大学一回生の秋ごろから彼女を作るということを考え始めた。高校の頃は制服しか着ていなかったのでまともな私服を持っていないということに気付いたのだ。今考えても僕は何を考えてあんなゴミのような着合せでキャンパスに通っていたのだろうか。もっと早く、もっと早く気づいていればまともな結果になっていたのではないか、と思うのだけれどサークルに女子はいないし、授業でも今まで知り合った人は一人もいない。それほど後悔する必要はないだろう。

 

大学二回生になって、バイトやツイッターで出会った人といくらか話した。だけど、まともに人と接することを覚えなかったから、二度以上出会う人はほとんどいなかった。二度以上会った人にも、軽く避けられ、唯一話が合った女子は退学して東京へ行った。自分の馬鹿さで本当に申し訳ないことをしたこともあった。今、冷静に考えると、あの頃の僕は本当に気持ち悪かったと思う。今の自分もたまに気持ち悪いと思うしきっとずっとそうなんだろう。スカイプエコーテストで自分の声を聞いてみたけれど、普通に話してみてもこんなに聞こえづらく話してたのかと驚いた。つらい

 

そのあとアカウントを消し、八坂アカウントを作った。これは、それまで200人近くフォローしていたのだが、ツイートをすべて見る習慣のために四六時中ツイッターを見てしまっていたからだ。めったにリツイートをせず、自分の言葉でツイートをする人だけを集めた。それからしばらくして、暇なときに見るように芦原アカウントも作った。無理にフォローを増やそうとせずに慎重に増やしたのでタイムラインはとても見ていて楽しい

 

ツイッターで自分の不遇を嘆いている人、童貞で本当に悲惨な人はめったにいないし、少なくとも僕より何倍もマシな境遇だと思うのに嘆いている人が多い気がする。ツイッターでフォローしている人で彼氏彼女がいない人は本当に少数だし、それ以上何を求めようっていうんだ。俺なんか目の前でツイカップルができるのを見届けてしまったんだぞ。別にいいんだけど。別に

 

僕は一人で考えるときはたいてい感情ではなく、正しいか間違っているかをその根拠を明らかに考える。最近は正しいことが常によいことではないと実感するので、損をしていると感じることが多い。自分自身楽しいと思うことが少ない。これでどう相手を楽しませようというのか。ただ僕にもいくらか長所はあって、それは感受性と論理的思考なんだけれど、これはほとんどの人に負けていないと思う。ただ表現力がないのでそれだけでどうなるかといわれるとどうにもならない。論理的に考えると理由をつけて長々と話してしまうので初対面の人によく嫌われる。声が小さいのは何とかしたい

 

彼女ができたからといって急に変われるわけではないだろう。けれども僕が普通に人と会話して、買い物に付き合ったり、近くを観光したり、近況を報告しあったり、家で手料理をふるまったり、僕が初めて、人のためになにかをするという経験を積んでなにか変りたいと思う。人の長所・短所を見つけるのは得意なので、楽しい会話はできなくても、そういうことを言ってあげられるくらいはできると思う。僕が生きる意味が、誰かのために行動することで少しでも補強されてほしい、というエゴも込めて。