『高い城の男』読了

考察を読書メーターに書いたのだけど、字数が足りなかったのでブログに書く。

伝えたいことが伝わればいいので、ところどころ誤りがあっても気にしないでほしい。

ネタバレあり。

 

 

個人的な考察。

高い城の男では、根本にドイツが勝った世界とアメリカが勝った世界の対比や、工芸品の本物と模造品の対比が出てくる。

そして、登場人物は所々でそれらが「本物」か「偽物」かについて悩むことになる。


この作品の骨はこの「本物」と「偽物」の対比だ。


現実世界と『イナゴ身重く横たわる』

本物の民芸品とその模造品

フリンクの作品と、大量生産を促す梶浦

本物のコルト44口径とその偽物

「高い城の男」と普通の家に住む男

ジュリアナとチナデーナ夫人

 


読み終わってから、これらはどちらが正しいのかについて、考えてみる。

現実にそうであるという意味で「正しい」のは、現実世界や本物の民芸品、高い城に住む男、実際にジョーを殺したジュリアナだ。


しかし、結果としていい方向になったものはほとんど偽物ばかりだ。

登場人物はアメリカが勝った世界を望み、
民芸品は偽物が売れ、
偽物を本物だと信じきれなかった人たちは苦しみ、
真贋のわからないコルト44口径で田上は勇気を発揮し、
高い城の男は便利な普通の家に移り、
ジョーを殺したジュリアナは間違った報道で助かっている。


この辺から、なにが本物でなにが偽物なのかが意味をなさなくなっているように感じられてくる。


作者はこの作品を作る際、易経を用いたことを仄めかしているが、易経では結果としての陰と陽はハッキリしているが、その過程の『変爻』によって結果はどちらにも変わりうる。

これをメタファーだと考えると、つまり、この作品内では、「なにが本物でなにが偽物なのかは意味をなさず、ただそこに結果だけがある」ということを感じ取れることができる。


ただそこに結果があるのだから、その過程はどうでもいい。

なにが正しくてなにが間違っているのかの区別はなく、全てはあるがままだということだろう。